魔法の9 あらすじ
あの9.11アメリカ同時多発テロ事件の報復爆撃が行われて、約1年半が経過していた。アフガニスタンで目にしたのは、廃墟の群れと朽ちた戦車。そして避難民テントに暮らす、家のない沢山の子ども達だった。
ただの平凡な、戦争を知らない世代の1人だった私は、過酷な現状を真摯に生きる市民たちを知り、言葉にできないほどの衝撃を受ける。
罪のない子供や、一般市民が、過酷な人生を余儀なくされている現状を目の当たりにし、私は、NGOのスタッフとして、井戸掘り支援等を始める。
7月4日。香川県高松市はアメリカ軍による空からの攻撃を受け、1,359名が命を落としたといわれる。家を焼かれ大火事の中を逃げ惑った生存者は、数十年来、無償で語り継ぎを続けてきた。アフガニスタンの子どもたちと同じ体験をした人達が、自分の国の足元に沢山いた事実に、改めて気づかされた私は、日本の戦争体験者を訪ね、話を聴く旅を始める。
第二次世界大戦の日本兵の海外戦没者数は、厚生労働省の発表で約240万人。戦後約70年経った現在も、約120万人もの遺骨が未だ行方不明とされる。海外で多くの日本兵の遺骸が、野ざらしになっていると聞いた私は、ご遺族たちとかつての戦場に向かう。
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●事の始まりは、アフガニスタンに行く切符を手にした事だった。

罪のない子供や、一般市民が、過酷な人生を余儀なくされている現状を目の当たりにし、私は、NGOのスタッフとして、井戸掘り支援等を始める。
・・が、間もなく、アフガニスタンの治安は泥沼の様相を呈し、外国人である私ができる最善策は、事件に巻き込まれないよう、一時退去する事だけであった。
Ⅰ.アフガニスタン
濁った水を回し飲みしている子どもたちを目撃し、井戸掘り支援に関わろうとする私。
次第に治安は悪化し、アフガニスタンは戦争の泥沼に陥る。
第二次世界大戦中の1945年
提供:高松市 |
Ⅲ.放置され続ける、日本兵の遺骸。 ~西部ニューギニアへ~
第二次世界大戦の日本兵の海外戦没者数は、厚生労働省の発表で約240万人。戦後約70年経った現在も、約120万人もの遺骨が未だ行方不明とされる。海外で多くの日本兵の遺骸が、野ざらしになっていると聞いた私は、ご遺族たちとかつての戦場に向かう。
私達を出迎えたのは、戦後約70年を経て尚、生々しく見捨てられた、戦場の跡だった。
Ⅳ.生存者は語る
かつてのニューギニア戦の生存者・飯田進氏は、高齢となった現在、入退院を繰り返しながら、著書や講演を通して、戦場体験を語り続けている。そこから、ニューギニア戦の驚くべき実態が浮かび上がる。
私たちは、過去の史実から、戦争から、何を学ぶべきなのか?