あらすじ

 
 
          魔法の9 あらすじ 
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    ●事の始まりは、アフニスタンに行く切符を手にした事だった。
 
 
 時は2003年。


9.11アメリカ同時多発テロ事件の報復爆撃が行われて、約1年半が経過した、アフガニスタの首都カブール。そこで私たちが目にしたのは、廃墟の群れと朽ちた戦車。そして避難民テントに暮らす、家のない子ども達だった。  

だの平凡な、戦争を知らない世代の1人だった私は、市民たちの過酷な暮らしを知り、衝撃を受ける。


私は、NGOのスタッフとして、井戸掘り支援等の活動を開始した。
・・が、アフガニスタンの治安は泥沼の様相を呈し、外国人である私ができる最善策は、事件に巻き込まれないよう、一時退去する事だけであった。



 
 濁った水を回し飲みしている子どもたちを目撃し、井戸掘り支援に関わろうとする私。
次第に治安は悪化し、アフガニスタンは戦争の泥沼に陥る。
                                                            
©清田学

航を断念せざるを得なくなった私は、日本で高松空襲の
体験者と出会う。

Ⅱ.高松空襲の生存者・喜田さんと出逢う。

 第二次世界大戦中の1945年

7月4日。香川県高松市はアメリカ軍による空からの攻撃を受け、1,359名が命を落としたといわれる。家を焼かれ大火事の中を逃げ惑った生存者は、数十年来、無償で語り継ぎを続けてきた。アフガニスタンの子どもたちと同じ体験をした人達が、自分の国の足元に沢山いた事実に、改めて気づかされた私は、日本の戦争体験者を訪ね、話を聴く旅を始める。

提供:高松市


 
Ⅲ.放置され続ける、日本兵の遺骸。 ~西部ニューギニアへ~

 第二次世界大戦の日本兵の海外戦没者数は、厚生労働省の発表で約240万人。戦後約70年経った現在も、約120万人もの遺骨が未だ行方不明とされる。海外で多くの日本兵の遺骸が、野ざらしになっていると聞いた私は、ご遺族たちとかつての戦場に向かう。

 

 
 私達を出迎えたのは、戦後約70年を経て尚、生々しく見捨てられた、戦場の跡だった。
 
 
 
 
Ⅳ.生存者は語る

 かつてのニューギニア戦の生存者・飯田進氏は、入退院を繰り返しながらも、著書や講演を通して、戦場体験を語り続けていた。そこから、ニューギニア戦の驚くべき実態が浮かび上がる。
 私たちは、過去の史実から、戦争から、何を学ぶべきなのか?